QAZZがJAZZレーベルであることは今もこれからも変わりないのだが、今回は本格的なクラシックを取り上げることにした。二人のクラリネット奏者にピアニストも二人。クラシックとジャズと半々のつもりだったが、最終的にはクラシック要素8割のアルバムに仕上がった。
アルバム名義は北川靖明君。実は私、石田久二にとっては中高の後輩に当たる。その意味では『ひとりごと』(QAZZ-002)の土井徳浩君とは同級生で、実際、6年間は同じ吹奏楽部で日々を共にした間柄である。土井君はジャズ奏者を志しアメリカへ留学、北川君はクラシック奏者としてベルギーで演奏者資格を取得した。
ちなみにだが、私が高校1年生の時だったか、吹奏楽コンクールの合宿中に、歴史的なクラリネット奏者Jack BrymerやLeopold WlachのMozartを、北川君に半ば無理やりに聴かせたことが音楽に目覚めるきっかけになったと本人の談。それが良かったかどうかはともかくも本人の談。私は良かったと思っている。
そもそもご縁だけで育っているQAZZレーベルであるので、北川君に録音をオファーするのも自然な流れ。そして私自身もクラシックとクラリネットを愛するプロデューサーとして、今までにはない野心的な試みに踏み切りたくなったわけだ。
だからと言って純粋なクラシックのみを吹き込むのも趣旨に合わないので、北川君と同じく大阪を中心に活動するジャズクラリネット奏者の鈴木孝紀さんにも参加していただくことになった。
実はクラリネットの世界において、ジャズとクラシックの共演は割とよくある。北村英治さんと村井祐児さんはたびたび二人でコンサートを開いているし、アルバム『クロス&カウンター!』も残している。当然、今回の試みもその先人たちを強く意識したものであることは否定しない。
鈴木孝紀さんは今では関西のみならず日本を代表するジャズクラリネット奏者であり、キューバなど海外での演奏経験も豊富。しかし元は音大できちんとクラシックを修めた正統派であり、今回、MozartやMendelssohnを正面から演奏することに躊躇はなかった。
そして今回、さらに興味深い試みとして、バセットホルン(Basset-horn)という、クラリネット属の珍しい楽器を積極的に用いたことがある。実はバセットホルンという楽器、現代ではほとんど使われることがない。ほぼほぼ似た楽器のアルトクラリネットが吹奏楽やアンサンブルでよく見かけるのに対し、バセットホルンの需要はほぼないと言っていい。
しかしその極めてレアな楽器を、歴史から切り捨てることを許さない存在がある。それが今回、取り上げるWolfgang Amadeus MozartとFelix Mendelssohn Bartholdyである。
とりわけMozartに関しては、クラリネット奏者にとって珠玉のレパートリーである『クラリネット協奏曲イ長調KV622』はそもそもバセットホルンのために書き始められたものであり(しかもト長調)、その断片的な原曲の響きを聴いてしまうと、KV622がいかに凡たる「製品」に感じてしまうとは北川君の談(そこまでは言ってないか)。
それ以外にも映画『Amadeus』で象徴的に登場した『Gran Partita KV361 (370a)』や、白鳥の歌となった未完の『Requiem KV626』においても主役級に用いられている。
バセットホルンという楽器は低音を生かすべく管体を長くしたにも関わらず、直径はクラリネットと変わらず、つまりその長さに対して細い。すると、どうしても響きは薄く素朴になってしまうため、重厚化が進むそれ以降の音楽形式にはそぐわなくなったのであろう。
しかしながらそのような特徴もまたバセットホルンの魅力であり、北川君は日本で最もその楽器を演奏した奏者の一人であり、その名手として知られている。MendelssohnのKonzertstückは二本のクラリネットで演奏されることが多いが、原曲はクラリネットとバセットホルンである。
MozartのTrio KV498はどうか。いわゆるピアノトリオの編成であり、オーソドックスにはピアノ、ヴァイオリン、チェロであり、Mozartは他の楽曲と比べるとややマイナーながらもその編成で数曲残している。一方、KV498は変則的にピアノ、ヴィオラ、クラリネットの編成であり、副題のKegelstattとはいわゆるボーリングの原型である九柱戯のこと。
なぜそのような副題を付けたか言うと、ボーリング(九柱戯)で遊びながら作曲したからだと。演奏に際してはMozartはヴィオラを、そしてクラリネットは彼のためにいくつもの名曲を残した名手Anton Stadlerが担当した。
ちなみにだが、当然のことMozartもプロの作曲家であり、仕事でなければそう簡単には曲は書かない。逆に言うと、お金をもらえるなら致し方なしにも取り掛かり、(大嫌いだった)フルートのための協奏曲や室内楽曲などはその典型であろう。絶筆Requiemは死神からの依頼であるとも。
その意味で言うと、遊びながらとは言え、お金目当てでもなく(多分)曲を書いたのは、Stadlerのクラリネットが余程好きだったから。実際、二人は悪友同士であり、Stadlerは借金まみれのMozartから金を借り、踏み倒したなど面白い逸話も残されている。それほど気のおけない仲だったのであろう。
さて、今回の録音に際し、クラシックをやるならMozartを入れたいと思った。しかし無理なアレンジものは正直ダサいし、シンプルな二重奏も録音するにはショボい。そこで思いついたのが、KV498のヴィオラをバセットホルンにしてはどうか。私がそう北川君に提案したところ、いけますね、と。実際、見事にマッチした!
クラリネットを鈴木さん、ヴィオラの替わりのバセットホルンを北川君で演ったが、我々が知る限りおそらく本邦初であろう。
と言うわけで、実に豪華な企画となった。ジャズ奏者の鈴木さんに正面からクラシックに挑んでいただき、北川君は通常のクラリネットに加え、バセットホルンを多用。ピアノはクラシック部門は蒲生祥子さんでジャズ部門は永田有吾さん。
蒲生さんは名門中の名門、パリ国立高等音楽院を優秀な成績で卒業され、ご自身のリサイタルや音楽祭等でソリストとして活動しながら、昨今はとりわけ管楽器奏者の伴奏として内外からファーストコールのかかる名手である。
永田さんは関西学院大学在学中にリーダーアルバムを出すも、一度は一般企業に就職しながら、人生において本当に大切な音楽を選択し、今や関西を代表するジャズピアニスト、プロデューサーとして活躍中。
それでは曲目の解説に移りたい。
Trio KV498,Kegelstatt / Wolfgang Amadeus Mozart
1. I.Andante
2. II.Menuett
3. III.Rondo-allegretto
すでに多くの紙面を割いたMozartのトリオであるが、まずは鈴木さんの音色に驚かされた。穿った言い方かもしれないが、本業ジャズの方がクラシックを演奏すると、どうしてもジャズ独特のニュアンスが見え隠れし、それを味と呼ぶことができても、味で済まされてはお互いにとって不本意なところ。逆にクラシック奏者がジャズを演奏するのもまた面白みに欠ける。
しかし鈴木さんのMozartを一聴して、ジャズ奏者と見抜く人はまずいまい。粒子の詰まったブリリアントな音色と堂々としたテクニックに表現力。時折ジャズ奏者ならではのスピード感が出るところも、決してMozartの意図に逆らうものではない。
ヴィオラの入ったオリジナル編成で何度も聴いた曲であるが、バセットホルンに替わったところで違和感ゼロ。いや、むしろ自然感で言えばこの方が正統ではないかと思ってしまう。Menuettにおける三連符の忙しいパッセージなどはバセットホルンの方がスムーズに聴こえるほどだ。
蒲生さんもこの曲は何度も演奏したと言われていたが、もちろんこの編成では初めてながら、何の戸惑いもなく二人を支えている。この曲は三者が全く対等であり、「遊びながら書いた」と文字通りにリラックスして新しいMozartを映し出している。
第三楽章のRondo-allegrettoは技巧的な側面が強く、三者三様の名人芸を楽しむことができるが、特に北川君のバセットホルンはお初であることを微塵も感じさせない名手っぷりである。いずれにせよ新しいケーゲルシュタットであったが、新たなスタンダードになることも十分に想像できるわけだ。
Konzertstück Nr.2 op.114 / Felix Mendelssohn Bartholdy
4. I.Presto
5. II.Andante
6. III.Allegro
クラリネット二本とピアノで演奏されることが多いが、オリジナルはクラリネットとバセットホルンにピアノ、またはオーケストラである。この曲に先立って第一番のop.113もよく演奏されるが、どちらかと言うとこちら第二番の方が耳にする機会は多い。三楽章形式であるが約8分間、途切れなく演奏されることが常とのこと。全体を通して極めて技巧的で、クラリネットらしさが存分に出た煌びやかな小品。
何度も言うように鈴木さんはジャズ奏者でありながら、アドリブも余計な装飾も一切なく、Mozartと同様に純粋なMendelssohnを聴かせてくれるが、こちらの方が精神的な意味においてジャズを感じさせると言えまいか。第一楽章における急上昇する短いカデンツァなど、自身がジャズ奏者であったことを隠しきれないところ。
しかし鈴木・北川の両名手にかかっては、それがクラシックであろうが、ジャズであろうが関係ない。何であれ一球入魂にして「J'adore la clarinette(クラリネットが大好きだ)」を表現してくれる。急速長の第三楽章Allegroは合いの手のピアノを縫うようにクラリネットとバセットホルンが一糸乱れぬ同じラインで吹き通し、吹き切る。カタルシスさえ感じさせる快演だ。
7. Bluesette / Toots Thielemans
ここで一曲、永田さんのピアノにバトンタッチ。北川君もクラリネットに。ハーモニカ奏者のToots Thielemansによるジャズスタンダードであり、私はかつでどこかでクラリネットだけのオーケストラによるこの曲を耳にしたことがあり、いいなあと思い北川君に提案した。するとベルギー留学時代にWalter Boeykens氏のクラリネット合奏団に所属し、Thielemans氏との共演も含み、何度も演奏したことがあると言う。私が聴いたのもそれであった。
今回は永田さんに編曲をお願いし、ピアノパートに少しアドリブがある程度なジャズ風クラシックとして息を吹き込んでいただいた。Bluesetteとは「小さなブルース」という意味になるのであろうが、なぜにブルースかと言うと24小節(12小節のブルース形式の倍)で書かれ、8小節ごとに展開する実はブルースそのものだったから。ブルーノートこそ使われないが、Thielemans自身もブルースありきで書き始めたことは想像に難くない。
荘厳な雰囲気の序奏からピアノのテーマ、二本のクラリネットによるアドリブとなるがこれは書き譜であろう。その後はピアノソロが続きクラリネットのテーマで終わる。「二本のクラリネットとジャズピアノによるBluesette」というタイトルで楽譜出版してもいいくらいに完成された一曲となった。
8. Vocalise / Sergei Vasil'evich Rachmaninov
Vocaliseとは「歌詞のないボーカル」を意味し、Rachmaninovの中でも最も知られた小品の一つ。あらゆる楽器、編曲で聴かれるが、再び蒲生さんのピアノで完璧なクラシックとして演奏していただいた。
北川君はバセットホルンに持ち替えるが、クラリネットと共に筆舌に尽くし難い素晴らしい音色を持つ。その実、よりまろやかで緻密な響きのするドイツ管をメインにした時期もあり、音色に対するこだわりは強い。
対する鈴木さんのクラリネットも倍音を多く含む伸びやかな高音部がとりわけ美しく、蒲生さんの完璧なサポートの上に天国的とも言える美の世界が展開される。
9. Viktor’s Tale from “THE TERMINAL” / John Williams
アメリカ入国直前に祖国が消滅、ビザが無効となり空港に取り残さた男Viktor Navorskiを取り巻く人間模様を描いた映画『THE TERMINAL』より。John Williams作曲。
Tom Hanks演じるViktorが、空港内の洗面所で入浴するシーンやエンディングなど、ユーモラスに流れるこの曲の主役はクラリネット。すでに立派なコンサートピースとして独立しており、リズミックでややジャズ風なこの曲を北川君のソロでお届けする。ピアノは蒲生さん。
アドリブもなくジャズナンバーではないが、映画はジャズと密接に絡んでおり、主人公Viktorがアメリカに来た目的はBenny Golsonからサインをもらうため。本人もカメオ出演しており、Tom HanksとBenny Golsonの邂逅に胸が熱くなった。
10. Blue and White / 鈴木孝紀
永田さんのピアノで鈴木さんとのデュオ。鈴木さんのオリジナルでECMを彷彿とさせるような透明感ある世界が漂う。ここに来てようやくジャズ奏者らしい見せ場を作るが、印象はまだまだクラシカル。Blue and Whiteについては、以下、鈴木さんの言葉より。
「冬の北海道にて。雲ひとつ無い真っ青な空と、一面の雪の大地に自分は挟まれていた。その静けさと澄んだ空気。時間の流れ。目を閉じた瞬間にもらえたメロディです。」
ひたすら美音に酔いしれたい。
11. 人生のメリーゴーランド(「ハウルの動く城」より) / 久石譲
久石譲氏による有名な曲で、ジャズナンバーとして聴くこともしばしば。クラリネットパートは書き譜であろうが、永田さんのピアノから一瞬、ジャズの香りも漂う。
Bluesetteと同じく三拍子で、序奏に始まり、ピアノがワルツを刻む。二本のクラリネットが最後までアンサンブルを奏でる、短いながらも引き締まった、聴き応えある快演だ。
12. Memories of You / Eubie Blake
ラストを飾るのはBenny Goodmanの代表的ナンバーでもあるMemories of You。クラリネットをオマージュする上で、やはりこの曲は欠かせない。土井徳浩『ひとりごと』でも完全ソロで吹き込んでいる。
これまたおそらく本邦初公開であろう、バセットホルンによるMemoriesのイントロとテーマ。オリジナルと音域は変わらないが、その響きからバセットであることはすぐにわかる。鈴木さんのクラリネットとテーマを吹き合うが、ここに来てようやくとジャズ色が支配する。
最初のソロは丸々ワンコーラスで鈴木さん。まさに水を得た魚のように自由闊達にアドリブを展開する。続く永田さんのピアノも、ようやく譜面から解放され、短いながらも良質なジャズを聴かせてくれる。
サビから再びバセットホルンが入るが、バセットでジャズフレーズを聴くのも新鮮な響き。ラストは二人による長いカデンツァがちょっと名残惜しさを感じさせる。いえい!
(石田久二)
Trio KV498,Kegelstatt / Wolfgang Amadeus Mozart
1. I.Andante
2. II.Menuett
3. III.Rondo-allegretto
Konzertstück Nr.2 op.114 / Felix Mendelssohn Bartholdy
4. I.Presto
5. II.Andante
6. III.Allegro
7. Bluesette / Toots Thielemans
8. Vocalise / Sergei Vasil'evich Rachmaninov
9. Viktor’s Tale from “THE TERMINAL” / John Williams
10. Blue and White / 鈴木孝紀
11. 人生のメリーゴーランド(「ハウルの動く城」より) / 久石譲
12. Memories of You / Eubie Blake
北川靖明 Clarinet, Basset-horn(1~9,11,12)
鈴木孝紀 Clarinet(1~8,10~12)
蒲生祥子 Piano(1~6,8,9)
永田有吾 Piano,arrangement(7,10~12)
レーベル:QAZZ
企画:石田久二
制作:株式会社フロムミュージック
発売元:まるいひと株式会社