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北島直樹・中山拓海『魂が踊り出すとき』(QAZZ-012)

3,080円

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世界の名だたるクラシックピアニストはもちろんのこと、かつてはKeith Jarrett、近年ではBrad Mehldauなど有数のジャズ奏者によるコンサートでも注目を集めている紀尾井ホール。天井のシャンデリアが煌びやかで、ヨーロッパの伝統的なホールの如し趣と格調。今や国内を代表する「音楽の殿堂」であり、紀尾井ホールで演奏することを憧れとする音楽家も少なくない。 2022年7月、QAZZの第六弾『four winds』で吹き込んだ北島直樹と中山拓海のデュオを中心にコンサートを企画した。「Spiritual to Swing 〜 魂が踊り出すとき」と題し、ややスピリチュアルなテイストを加味して構成したが、「Spiritual to Swing」というタイトルには歴史がある。 Blue Noteの創設者であるAlfred Lionは、1939年に新たなレコードレーベルを立ち上げたが、その前年、ニューヨークのカーネギーホールで催されたコンサートに感動したことがきっかけであった。そのテーマがまさに「Spiritual to Swing」であり、元は貿易会社に勤める一介のサラリーマンであったAlfredは、今やジャズを象徴する世界的レーベルのオーナーとして名を残し、その姿に私自身を重ねている、と言うとあまりにおこがましいであろうか。 鉄鋼王カーネギーが私財を投じて作った殿堂がカーネギーホールであれば、紀尾井ホールもまた「日本の鉄鋼王・新日鉄(現・日本製鉄)」がこだわり抜いて作った文化財である。そんな紀尾井ホールをきっかけに「日本のAlfred Lion」がジャズ界に大きな一ページを加える、と言うと再びおこがましいであろうか。 800人を収容する響きの良いホールは満席。第一部はトークとシンセサイザーによるヒーリングタイムで、本ライブアルバムは第二部を収録した。私自身にとって長年のヒーローである北島直樹のピアノ、そして名実共に日本ジャズ界の新たなリーダーである中山拓海のサックス、終盤にはコンサートの音楽監督でもある杉山正明のシンセサイザーが加わり、文字通り「Spiritual to Swing」な空間となった。 約1時間に及ぶ即興芸術は北島のソロに始まり、中山のサックスがかぶさる。牧歌的なメロディを繰り広げる北島のピアノ、既存のオリジナルだと思っていたが、割と直前に簡単なスケッチを用意した程度だそうで、決まった表題はない。中山はスポンテニアスにメロディを紡ぎ、時に抒情的に、時に激しさを極め、ホールを埋め尽くす。 普段はどちらかと言うとジャズに馴染みの薄い客層であり、正直、知らない曲、それも完全即興を1時間聴き続けるにはかなりの忍耐を要するかと思いきや、あふれんばかりの拍手はもちろん、涙を流す観客もいた。きっと何かが「奇跡的」に降臨していたのだろう。 本アルバムはそんな1時間を完全収録したものであり、曲間に明確な区切りもなく、もちろん曲名も存在しないため、ライナーでは石田が「あるがまま」に文章を進めていった。タイトルも思いつくがまま。ただただ音を賞味するだけで十分と思いながらも、もしかしたら多少なりとも鑑賞の助けになるリスナーもと願いを込めながら、駄文に興じていただければ幸いである。 1. Raindrops Keep Fallin' On My Head(Burt Bacharach) オープニングアクト。『four winds』の一曲目にも取り上げたBurt Bacharachによる映画音楽の主題歌。ゆったりとテーマを歌い上げ、ブリッジからアップテンポのビバップ、そしてフリーに突入って流れも、同アルバムと同じ。 当日は雨こそ降っていなかったが、新型コロナの感染者数は過去最高の最中。いつ緊急事態宣言が出てもおかしくない状況であったが、ちょっとした筋から「実はそろそろ解放」って有力情報を耳にしていた。その実、以降は宣言も出ずに徐々に解放に向かって今に至る。雨とコロナを同一視するのは不謹慎かもしれないが、結局、なるようにしかならなくて、いつの日もNothing’s worrying me で生きていくしかない。 2.夜明け前が一番暗い 「手探り」ってタイトルにしようかと一瞬思ったがやめた。おそるおそるなテーマは手探りそのものだが、人生ってそもそもそんなものだ。決まってから歩き出すには人生は短すぎる。テキトーに歩きながら、どうせいつかは着くわけで、その時に最初から知ってた風な顔でいればいい。 コロナの話じゃないが、実際のところ本当はいつ終わるのか誰もわからない。でもいつか終わるから心配ない。どうせ良くなる。夜明け前が一番暗いって言うじゃない。ちょっと希望が見え始めた。 3.窓を開けたら 健康的に生きる秘策を一つだけ教えろと言われたら、それは「起きて3分以内に部屋の窓を開けること」だと答える。なぜ3分か。例えば目覚ましにこの曲をセットしたとして、中山君のサックスが入るまでが3分だからだ。窓を開けると、朝一番の外の風が入ってくる。夜は陰の氣。身体を整えるには必要な時間だ。対して、起きている昼は陽の氣。そのバランスが陰陽太極図。その一番は朝一番。 中山君のサックスを聴いて、ちょっとワクワクしたら整っている証拠。軽快に歩く。ジャズって音楽には一応のルールがあって、一般的には何かの楽曲を演奏したら、そのコード進行に従ってアドリブを繰り返す。32小節で一曲なら、それを何度か繰り返して、次の奏者にバトンタッチ。19小節でいきなり終わることはまずなくて、28小節くらいに雰囲気を察して、演奏してる奏者にチラッとアイコンタクト。 慣れると意外と簡単に引き継ぎができるんだけど、今回のような完全即興にはそんなルールがない。「曲」って概念すらないので、お互いに音を通して対話するしかない。それも極めて抽象的、高度な対話。なんだけど、北島さんと中山君は普段から演奏してるわけじゃないのに、きちんと対話して、例えば中山君が即興で作ったメロディと進行を、北島さんは自分の番にもしっかり生かしてくる。そうやって陰と陽のバランスが取れて、皆さん、健康って具合。 4.それ以上は泣いてしまう〜Takumi’s Cadenza またまた一般的な話なんだけど、いわゆるクラシックの奏者はジャズ奏者に比べて高い技術水準を要求される、らしい。もちろん「音楽=技術」ではまったくないので、クラシックとジャズの優劣の話じゃなくて、単なる特色として。 知人のクラシック奏者が言っていたのだが、歳を重ねると体力よりも「耳」の勝負になる、と。だんだんと倍音と呼ばれる高周波の音が聞こえにくくなり、微分レベルのコントロールが難しくなるんだと。それに対してジャズ奏者が求めるところは、円熟だったり味だったりもあるので、90歳を超えても現役バリバリも少なくない。 中山君が一人でカデンツァを吹き始めた。クラシックでは協奏曲などで独奏者がその技量を披露するためのソロパートがあるが、ジャズにもよくある。中山君は最初はゆっくりと、徐々にスピードを増して、4〜5人で吹いてるんじゃないかと思うような超絶技巧に突入する。単に指が動くとかではなく、ホールの残響なども緻密に計算した、クラシック奏者でもちょっと真似できないようなレベル。 舞台袖で聴きながら「マジかよ」って声が出た。鼻から息を吸いながら楽器を吹く循環呼吸は、その気になれば24時間でも吹き続けられるそうだ。観客は無意識にその対象(ここでは演奏者)に呼吸を合わせてしまうものだが、ある知人の観客は文字通り息をするのも忘れ、半ば酸欠状態になったそうだ。 いつしか感動のあまり、「それ以上は泣いてしまう」と思いながら、自然と涙と鼻水が出て、両隣をドン引きさせたと語っていた。確かにこのご時世、マスクをしているとは言え。 5.みずすましのワルツ 洪水のようなカデンツァからの静けさ。三拍子のピアノ。あくまで自然現象の話として、台風など災害の後は空気が澄んでいる気がする。夏、割と大きな台風が日本列島に何度も到来するのだけど、一つ過ぎ去ると空気が少し冷えて切ない気分になる。秋だ。 僕ならば、小学生の頃は、泣きながらお墓を作ったカブトムシのオスと、対してベランダから無惨に投げ捨てられたメスを思い出す。高校の頃なら、放課後に売店で買った「午後の紅茶(レモン)」を飲みながら、はにかみ女子に手を振る文字通りの甘酸っぱい17歳を思い出す。それが秋だ。 そして気がつけば半袖がダウンやジャンパーに変わっており、あっという間に水面に霜が降る。その束の間、みずすましがワルツを踊れるわずかな秋を歓迎したい。しかし、みずすましは夏の季語だったが、とりあえずどうでもいい。 みたいに耳を澄ませていると、穏やかな水の流れが徐々に不穏な方向へと進み、季節は逆戻り。三拍子はキープしながら、ハードボイルドな探偵が歩脚を速める。逃げるものは追う。なんとか追いついたと思ったら、隣の家のご主人だった。インド旅行から帰って一週間もたつが、まだお腹の調子が良くならないらしい。まだまだトイレは大洪水。 どうにか栓が外れるのを耐えるが、その探偵はなかなか離してくれない。35年勤めた会社を早期退職したはいいけど、次の仕事が見つからない。そうだ、俺、探偵になろう。人はあっしをみずすましと呼ぶ。そんなことよりも、早くトイレに行かせてくれよ! 6.ディス・イズ・ブルース フランス人が実際に普段使いをしているかは知らないが「セラビ」って言葉がある。「これも人生さ」って直訳されるが、割と汎用性があって、なんか上手く行かない時などすべてを受け入れる意味でセラビって言うらしい。ケサラセラ、ナンクルナイサなんかも似たような語法か。 いつだったか、好物のカップ焼きそばを作って、さあ、流しにお湯を捨てる段になり、その刹那、熱湯が人差し指を直撃、思わず持つ手を緩めてしまった。支えられていた蓋が勢いよく外れ、麺もろとも水道管に食わせてしまったんだ。 僕はその時、「ブルース!」となぜか叫んでしまった。が、直感ながらも言葉のチョイスは間違っていなかった。これも人生。うんこを漏らした時なんかもかなりブルースを感じるだろう。 ジャズの基本はブルース。アブストラクトな即興演奏が続く中、ブルースが現れるとついホッとしてしまう。大人になってからうんこを漏らす機会はそんなに多くはないが、いざ漏らした人の話によると、いろんなことがどうでも良くなるんだとか。人生に疲れたら、うんこを漏らしてみるのも一興だ。ブルースがあなたを待っている。 7.南海の二軍 北島さんはプロ野球が大好きとのこと。ピアニストになってなかったら、きっと野球選手になっていただろうと語っていた。昔、転校生がやってきた。穴見君という名前だった。前の学校ではリトルリーグのエースだと語っていた。だったら投げてみろと、腕白な連中が穴見君をマウンドに無理やり追いやった。まったく大したことがなく、結局、穴見君は高校卒業まで野球をすることはなかった。 「おっちゃん、昔、野球やっててん」と少年に自慢するおっちゃんがいた。最初は巨人のエースだったのが、いつの間にか南海フォークスの二軍になっていた。その当時(1980年代)、南海は最も弱い球団だったため、少しだけ信じそうになっていた。 北島さんが野球の話をする時、なぜか穴見君とおっちゃんのことを思い出してしまうのだ。北島さんと中山君はしばらく二人で話をしている。 「拓海くん、僕、昔、野球をやってたんだよ」 「え!そうなんですか!」(大きくリアクションを取るほどの話題でもない) 「ピアニストにならなかったら、きっと野球選手になっていただろうな〜」 「そうなんですね〜(ははは)」(これ以上は話を膨らませる必要もない) 世のおっちゃんと青年の会話って、たいていがこのレベルだったりするが、野球選手ではなく、二人がいざピアノとサックスを手にすると、不思議とずっと聴いていられる。 世間では内容のない、意味のない会話のことを「南海の二軍」って呼ぶようだけど(ウソです)、北島さんと中山君の会話がメジャーリーグ級なのは言うまでもない。北島さんはピアニストで良かったと思う。 8.紀尾井ホールの陰陽師 ここから杉山正明さんのシンセサイザーが入り、別世界へと効果を高める。CDだから見えないと思うが、実はこの時、ステージ上には人物がもう一人立っており、観客の注目を集めていた。エドワード淺井さんだ。 健康、美容、金運、人間関係など、あらゆる問題を解決させる「陰陽師」の技をかけている。僕自身もエドワードさんから技をかけてもらい、収入が9桁を超えてしまったのも事実である。そしてどうやらこの技は音と相性が良いらしく、これまでも杉山さんのシンセサイザーとのコラボで、数えきれないほどの奇跡を起こしてきた。 今回は北島さんと中山君との夢のコラボが実現し、当然、このCDにも技の情報は封入されている。聴くだけで奇跡が起こる、なんとも不思議な音源ができてしまった。すごいことが起こったらぜひ連絡をお待ちしております。 9. Over the Rainbow(Harold Arlen) アンコール。雨がやみ、お日様が顔を出すと、そこに七色の虹がかかる。美しい。あまりにも美しい。信じた夢はすべて実現する。 雨が降ってもノープロブレム。そのうちやむから、その時は虹の橋を渡って宝を探しに行こう。でも案外、宝物って足元に埋まってたりするんだけどね。 これを聴いた人は、みんな幸せになる。 (石田久二) 1. Raindrops Keep Fallin' On My Head(Burt Bacharach) 2.夜明け前が一番暗い 3.窓を開けたら 4.それ以上は泣いてしまう〜Takumi’s Cadenza 5.みずすましのワルツ 6.ディス・イズ・ブルース 7.南海の二軍 8.紀尾井ホールの陰陽師 9. Over the Rainbow(Harold Arlen) 北島直樹 Piano 中山拓海 Soprano & Alto Saxophone 杉山正明 Synthesizer (8) レーベル:QAZZ 企画:石田久二 制作:株式会社フロムミュージック 発売元:まるいひと株式会社

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